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野宿

こないだのブログで書いた 恵比寿あたりのジャズバーで 松下さんの三回忌飲み会のあと。
二次会 三次会と、僕は最後までいたのですが、先には帰りまへんでー!自転車で行ってたため 案の定 帰りは ヨレヨレで サドルにまたがる事できず。
残念! 往きは良い良い 帰りは恐い。で、 引き 引きしながら 帰ろうとしたものの 途中でそれすら 倒れこまんばかり酔いっぷりの為 代官山近辺の公園のベンチて 一寝入り。・・・夜中の蝉の泣き声 ・・心地よくもあり・・・
そして 幾時間が過ぎ、 何かの気配で、目が覚め、すると、 まわりは 人だかり。事件か! でも何だか 懐かしくも、聞き覚えのある音楽が・・・。そう 朝のラジオ体操の時間なのでした。 おじいちゃん おばあちゃんが たくさんに、子供が少々。
僕のベンチが 悲しいかな、ラジオ体操の、ほぼ、ど真ん中! 皆が 体操。  恥ずかしくも 動けず そのまま もう一寝入り。
やがて あまりの暑さに 目が覚め 時は10時でした。

野宿!

公園のトイレで顔洗い もう自転車のれるなと いざ ペダルをこごうとすると なんと チェーンはずれてるやおまへんか!

ここから 30分 手を真っ黒にしながら悪戦苦闘。
泣きながら 帰ってきまし。
おそるべし 45歳 最後の夏の、 野宿!


今 聴いてるのは 1956年にでた 女性ジャズボーカル シルウ゛ィアシムスのソングス。
いい声。過度に感傷的にならない感じが好き。バックのバーバラキャロルトリオの演奏も ナイス歌伴。

最近 聴いてたのは ジャズ系は チャールスロイドの1966年のフォレストフラワー。      ハービーマンの1962年の アットビレッジゲイト。
キャロルスティーウ゛ンスの 1957年にでた、ザットサテンドール。セクシーダイナマイトだす。
ブロッサムデイアリー系な 女性ジャズボーカル ボビロジャースの1980年のファーストアルバム、TOMMY WOLF CAN REALLY HANG YOU UP THE MOST。
これは メチャ良いです。声の録音も 目の前で 歌ってる感じで 僕の理想な録音。
しかし ジャズスタンダードの歌詞って シンプルだけど 人生の真髄 ついてて なおかつ 夢があって 悲しい歌でも ほんのり前向きになれるもの 多い気がします。
ブルースや古いカントリーもそうですが。

ジャズ以外では 僕が高校時代好きだった フランスのプログレバンド タイフォンの1976年にでたセカンドアルバム ウィンドウズ と 1979年にでた サードアルバム ラストフライト。

レターメンのベスト。

BEN KWELLERの2004年にでた イーサンジョーンズ プロデュースの ON MY WAY.

レオセイヤーの 1978年の LEO SAYER.
ジェフポーカロ ドラム叩いてます。

新譜では プリンスのブラネットアース。

リンダトンプソンの VERSATILE HEART。

女性シンガーソングライターの COLBIE CAILLATの COCO. 久々に ポップな歌伴でのタイトな演奏の正解形 感じました。
最近 よく見かけるドラマーのVICTOR INDRIZZOは マットチェンバレン世代なドラマーでは一番だと思います。

で もっと良かったのが22歳の女性シンガーソングライターの.A FINE FRENZYこと アリソンシドルの ONE CELL IN THE SEA.フィオナアップルが 軽やかになった感じです。
ドラムは もう今や僕の中では 歌伴ドラムの巨匠になってる ジョーイワーロンカー!若いのに。
最近の西海岸のアーティスティックな歌ものには かならずこの人か マットチェンバレンです。
で 今 聴いてるのは ジェシーハリスが音楽すべて書き下ろしの映画 THE HOTTEST STATEのサントラ。    一曲目からやられました。
作詞作曲すべてジェシーハリスですが 歌っているのは 本人が三曲、あとはノラジョーンズ、フェイスト、ブライトアイズ、キャットパワー、マークワード、ウィーリーネルソン、エミールハリス、など 僕の好きな人ばかりです。で 3曲歌ってる ROCHAという女性ボーカルが 凄く良い良いです。この人は 映画にでてる 主人公の女優かもです。映画 みないと解んないですが。

映画はイーサンホーク主演監督のような?
ほとんどの曲、ドラム叩いてるのは、これまた 僕の中では 今や、東海岸 歌ものドラマーの巨匠。ケニーウォルセン! ズルッーとしたグルーヴ叩かしたらこの人の右に出る人無し。スネアチューニング低い界では リックマロッタ級!でも、乗りは正反対。しっ、 しっかし、ジェシーハリス いい曲かくわー! あったかくて 繊細で。

で 一番泣けるのは 三曲目の FEISTが歌う SOMEWHERE DOWN THE ROAD。2分42秒の人生模様です。完結してます。

わあっー 気が付けば 今晩は、ビールに 焼酎 そしてワインに 今は日本酒。大丈夫でしょうか 僕は。五時間 部屋で飲み続けてます。アル中かも。

でも 楽しく 幸せ です。            次は 焼酎に戻って おそらく 寝ます。おやすみなさい。
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by to-ru_drum | 2007-08-30 03:15

恩人


昨晩 代官山あたりの リザードというジャズバーにて、大江千里が発起人で 三年前に亡くなった キーボーディストの松下一也さんを偲ぶ会がありました。

知ってる人はわかると思いますが 一也さんは プレイも人柄も 素晴らしい人でした。抜群のリズム感。極太の音。コロコロころがるニューオリンズスタイルのピアノは最高でしたし ロキンロール大得意、でもリリカルなものも凄い。僕的には 日本のチャックリーウ゛ェル。人柄は 寡黙だけど にこにこ。徹ありがとうなー!と 徹ごめんなー!と、徹おはよー!。常に かわらない 揺るぎない 心。20年以上見てきたけど。
僕の一つ年上なのですが  とてもとてもな 大先輩でした。ちなみに、僕の恩人なキーボーディストは 松下一也さんと、羽毛田たけふみさんと、牧野信博さんの三人です。
羽毛田さん、はけさんは 大学時代の一年先輩でした。最初はテクノバンドからはじまり その時 僕はキーボードでしたが。ドラムに転向してからも 何かと 言葉で あるいは一緒に音だして励ましてくれました。 はけさんは 口は悪いけど 本当に 世話好きで あったかいとこあります。上京した僕を、連れ回して、いろんな人に 僕を紹介してくれ、僕がもう 自分は駄目なんじゃないかと相談した時も 大丈夫 大丈夫 徹は最高やで こんな、ヨギホートンばりのドラムたたけるのは 日本にお前一人や!いまに仕事わんさかくるでー とか言って 嘘でも励ましてくれました。思い出します、はけさんの実家に泊りに行った時、リズムようなるためには メトロノーム聞きながら寝るんやとかいって 二人でヘッドフォンでドクタービート聞きながら寝たこと。夢の中で 四部音符の 巨大な黒玉が ドックン ドックンやってくるんです。うなされました。でも朝起きたら ヘッドフォンは耳から外れ 枕元から悲しく ピッ ピッって 。
あるいは、東京きて 最初の一年は 同棲!してたので はけさんのパンツを洗濯し お風呂を焚いておき 晩ご飯つくって 帰りを待つ な日々。うっ、けなげ!また 僕を音楽で生きていきたいと 決心させた ドラムの師匠 河瀬勝彦先生を紹介してくれたのも はけさんでした。常に一緒にいました25歳までは。
で はけさんの紹介で 僕が 東京での初仕事やったときのバンドの キーボーディストが 牧野さん マッキーでした。思い出します。ビリーバンバンの 郵便貯金ホール。足 震えてました。僕が 23歳の冬でした。

マッキーも 本当に アッタカイ人?で 自分のやっている仕事のあらゆるドラマーをクビにして そこに僕を紹介してくれました。
常に一緒にいました、28歳くらいまでは。

そして 松下一也さんです。一也さんとは 僕が21歳の時 初めてのプロの仕事 というか 同級生の大江千里がデビューした時に 千里が事務所に頼み込んで、僕をバックバンドに推薦してくれたのですが。
そこで 出会いました。大阪ではもうすでに 名の知れた売れっ子キーボーディストな一也さんでした。

で 二回ライブやったあとで 一也さん以外のメンバーはクビ。悔しかったなー!
でも そこで 僕は火が点いたのでした。だって それまでは 就職しようとおもっていたのです。
思い出します 大学四年になる前の春。
またいつか 千里と 一也さんと、一緒にやれるくらい うまくなるぞー!

そして 25歳の夏 また千里と一也さんが僕をツアーに呼んでくれました。嬉しかったなー!
ある意味 あの時の 千里のオリンピックトーチツアーが 僕のイケイケなピークでした。と断言できます。超集中してました。プレイは喜びに溢れてたはずです。
いい演奏するために ツアー途中で、僕が言い出しっぺで、自腹で バンド合宿しました。一也さんなんかバッチリなのに 付き合ってくれたもんなー。

そして 事情があり、また僕が 千里バンドを離れてから 10年後に また 千里と一也さんが 僕を ツアーに呼んでくれました。三回目の でもどりです。
それ以来は 仕事以外にも バンドいっぱい 一緒にやってました。

ただ 亡くなる最後の一年くらいは あっていませんでした。
というのも 僕が一也さんとやっていたバンドを 辞めます!みたいな感じで 少し気まずい別れ方 そう思ってたのは僕だけですが。一也さんは その時の電話でも ごめんなー徹って言ってましたから。

そんなことがあり 病院にもお見舞いに、行けなくて、そしたら あっという間に 一也さん、逝ってしまった。

悔しいやら 謝りたいやら お礼言いたいやら 今でも まだ混乱してます。

でも 本当にお世話になった人 大好きだった人は 亡くなった後も、ずーと一緒にいるんですね!

僕が悪いこと考えだすと、父、河瀬勝彦先生、そして松下一也さんが 天国から僕を笑いながら 戒めてくれます。道を踏み外さないように。

僕の、自宅の鍵と 自転車の鍵と 毎日持ち歩いてる筆箱には 一也さんが、ハワイ行くたびに買ってきてくれた、キーホルダーが 付いてます。

一也さんの事 忘れないどー!

お休みなさい。
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by to-ru_drum | 2007-08-22 03:24